5月20日(月)   

午 前   於 中央区民センター

 ~まちとは、コミュニティについて~

            大阪市コミュニティ協会 西田 禎治 講師

  

地域コミュニティと防災

 〇阪神淡路大震災における救助の主体は、近隣住民等が77%であった。

  この事から、自治会・町内会等の地域活動が注目されるようになった。

コミュニティについて

 1.町会のなりたち

   ・地域に自然発生的にできたもの。

   ・国民精神総動員法と絡んで町内会が全国的に組織される。

   ・終戦後、解散命令が出される。

   ・昭和21年12月21日に 南海地震が発生。それに伴い、22年に災害救助法が制定された。

   ・大阪市の場合、昭和24年に大阪赤十字奉仕団が組織化され、昭和50年に大阪市地域振興会が組織化され    た。

 2.地域活動における課題

   ・生活の変化に伴い、酸化しない・できない住民が増えている。

   ・活動の担い手の不足、高齢化

   ・行政の補助金制度の不備

 3.新たなコミュニティづくり

   ・平成24年度に地域活動協議会が発足自主財源を元にするものである。

   ・成功例  老人憩いの家の運営(港区)小学校「いきいき放課後事業」の受諾(鶴見区)

   ・課題   事務的負担が大きい。補助金を受けるための自主財源の基が偏っている。

結 論

 まちはそのまちに住む人がつくりだしていくもの

やりがいを見つけて、地域活動に参加しよう

 

 

 

午 後

  中央区再発見 ~大 阪 城 探 訪-

大阪観光ボランティアガイド協会

 

 今回の街歩きは、大阪城です。この場所に、石山本願寺があったことや、徳川の世になってから豊臣秀吉の建てた城とは違った位置に今のお城が建てられたことは、すでに何度も聞いたことがありました。今回は筆者がはじめて知ったことを紹介します。

 大手門から入ってすぐの所にある「大手門枡形巨石」です。厚さは1㍍程ですが、実は倍以上の厚さのものを2枚に分けたもので、同じ形の岩が左右対称に並んでいます。

 桜門を入ってすぐの所にある「蛸石」は城内第1位の大きさとして有名です。さらに、左にある袖石など等で枡形になっており、その上に多聞櫓が維新の時まであったことは、よく知られていますが、昭和の戦争中には、枡形の中を地下通路として使っていたことは、知りませんでした。

        大手門升形巨石
        大手門升形巨石
      桜門くぐって正面の蛸石
      桜門くぐって正面の蛸石

蛸石の概要 古代から続く巨石信仰みたいなもの、霊力で守護する要石 蛸石という名は石の表面左端に酸化第二鉄による茶色の蛸の頭形のシミがあることから名付けられたものと考えられます。広さ36畳 重さ130トン 厚さ平均0.9mと推定されてます。

「蛸石 肥後石 振袖石」瀬戸内海の小島より産出 海上輸送・陸路運搬で運ばれて来た過程等を考えると、壮大な歴史のロマンが浮かびます。